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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

music tropic 2: Osvaldo Coluccino - Parallelo

Osvaldo Coluccinoは、現代イタリアの作曲家、詩人である。

イタリアやドイツ語圏では既にかなりの評価があるようだ。ある記事によれば、イタリアの言葉は常に音楽とともに語られるべきであるが、彼の詩もまたそうであり、静寂のなかから浮かび上がる言葉は、同時の新たに到来した音楽の作曲家としての言葉でもある、という。*1

彼の出身はドモドッソラ (Domodossola)、イタリアとスイスが自動車で約30分ほどで結ばれる、小さくとも美しい街である。

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この町の出身者には、1800年前後に解剖学者・外科医として活躍したGiovanni Battista Palletta (1748-1832) がいる。彼は晩年左膝を大きく損傷してしまい、苦労を強いられたようだ。多数の論文をラテン語、イタリア語、ドイツ語で著し、翻訳もまた手掛けたとはいえ、彼はほぼすっかり歴史に埋もれてしまっている。とはいえ、彼が書いた論文を少なくとも一つは、Goethe, Fichte, SömmerringやSchellingのような人たちが読んでいた可能性があるとは思わないだろうか。

事実、チュービンゲンで1794年に出版されたPallettaの著作の翻訳が、当時の出版目録Allgemeine Deutsche Bibliothek, Bd.18. S.56-57. にも書評を寄せられている。

J.B. Palletta's anatomisch-pathologische Beobachtungen über die mit Lähmung verbundene Krümmung des Rückgraths. Aus dem Italienischen. Tübingen, bey Heerbrandt, 1794. 8. 112 Seite.

http://ds.ub.uni-bielefeld.de/viewer/image/2002571_018/66/

つまり、「J.B. Palletta氏による、麻痺を伴う脊椎湾曲に関する解剖学的・病理学的所見」である。書評によれば、

Diese Schritt, ein wichtiger Beytrag zur Kenntniß der auf ihrem Titel genannten Krankheit, ist hier aus den Adversariis chirurgicis primis des schon rühmlich bekannten Vf. von D.C.F.C übersetzt worden. Sie enthält die Erzählung von acht Krankengeschichten, welchen einige allgemeine Bemerkungen über die Krankheit vorausgesetzt sind, und eine kleine treffliche Abhandlung über dieselbe folgt. Die Krankheit befällt Personen von jedem Alter und von beyderley Geschlecht, vorzüglich aber Kinder. Ehe die Krümmung des Rückgraths erscheint, beklagen sich die Kranken über Mattigkeit; die Beine werden schwach, kreutzen sich oft im Gehen, die Knie sinken ein, endlich werden die Beine völlig lahm, und verlieren auch die Empfindung; doch ist der Grad der Lähmung und des Mangels an Gefühle sehr verschieden. 

この進展、つまりその題に挙げられた病に関する重要な論稿は、すでに名望高いDCFCの著者によって『第一外科年鑑』より翻訳された。これには、この病気に関するいくらか一般的な論評が前置きされ、同じ病気についての優れた小論が続く、8つの病歴の物語が収録されている。この病気は、全ての年齢層の人々に、そしていずれの性別の人々に降りかかるが、子供に顕著である。脊椎湾曲に先立って、患者たちは無気力を訴え、両足は弱り、歩行中にしばしば交差し、膝をついてしまう。しまいに両足はすっかり麻痺し、感覚も失う。とはいえ麻痺と感覚欠如の程度は実にさまざまである。

 等々。

また、ザルツブルク大学の医学部で当時教壇に立っていたJohann Jacob Hartenkeil (1761-1808) による雑誌 Medicinisch-chirurgische Zeitung. Bd.1. 1795 Salzburg. S.75-78にも書評が掲載されていた。この雑誌は当時ドイツ語圏の医学界では先進的で重要だったようだ。Schellingも自身の医学雑誌 Jahrbücher der Medicin als Wissenschaft を発刊しており、周辺にはLorenz Oken や Joseph Görres といった医学系の自然哲学を論じている学者がいて、この雑誌に目を通していても何ら不思議ではない。

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権威ある医学者Ernst von Leyden (1832-1910) による『脊髄の病気の臨床』Klinik der Rückenmarks-Krankheiten (1874-1876) という教科書には、脊髄・脊椎に関しては近年(19世紀後半)になってようやく研究が進展したとあるが、脊椎カリエス (Spondylarthrocace) の項目には先駆的な研究としてのこのPallettaの著作とSamuel Thomas Sömmerring

S.T. Soemmerrings Bemerkungen über Verrenkung und Bruch des Rückgraths. Berlin 1793.

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 が挙げられている。つまり、『脊椎の脱臼と骨折についての所見』。

 

脊椎カリエスという病気が、こうした医学の世界を一挙に高山へ引き上げ、そこに物語を生み出す。堀辰雄の『風立ちぬ』、サナトリウムの透き通った物語たち、そしてトーマス・マンの『魔の山』。そこは忘れてならぬ「真実の山」と対をなし、あるいはまた「聖なる山」を彷彿とさせる。『魔の山』はまさに、ヨーロッパ近代、あるいは啓蒙の絵物語なのだ。

 

この町はサクロ・モンテで名高く、山肌に白く輝く寺院が居並ぶ。そうして立体的に聖書物語が再現され、巡礼者を迎え入れる。この通過儀礼の様相は、いくつもの変奏を経ている「聖なる山」のモチーフの原型である。つまり、ルネ・ドーマル『類推の山』、ホドロフスキーホーリー・マウンテン』、そしてラウル・ロヴェゾーニとフランチェスコメッシーナによる名盤『アナロゴ山を濡らす』。

立体曼荼羅のような象徴的な縮図ではなく、むしろ春日曼荼羅のような世界、悠久の空間に変わらず注がれる光は、聖なる風景を決して汚れることないよう守り続けている。

Coluccinoのこのアルバムは、廃墟での録音を基にしている。

静寂が支配する中、奥から唸りが忍び出て来て、やがて聴くものを誘う。それはまさに亡霊の仕業なのだが、それは歴史ではなく、また時間の流れでもない別の流体のなかを漂っているのである。純粋に音響が、環境一般を表示する時、そこにはなんら具体性は伴わない、単なる形式的な物が示されている。しかしそれこそが、亡霊なのである。廃墟とはいわば、氷河が永劫に溶け残るような、山肌に裂け目を開くクレバスのようなものなのである。そこから亡霊は私たちに憑りつくでもなく、ただ安らかに夢を見、たゆたい、語り続ける。それはもはや鳥の鳴き声と変わらぬ、声、音、響きだ。