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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

Mémoire du sommeil 3

8. March 2020

 

現実は、それ自体現実であったことなどない。

 

 

雨の日のゴルフ場の暗さ、幅の広さ、長さ、遠さ、静けさ。人々の、マスクで覆われた顔、震える膝、ねじれる腰、フォロースルーの長々とした影。ジャコメッティの作品たちが持つ、艶やかで貧しいプロポーションは、このようにして剥き出しにされた熱の醒めていく過程なのだが、それでも私たちはそこに記憶の絡みついた鋼を見て取ることで、速度が現れてくる。冷たい。だが、次第に温もりを増す速度。

 

 

温もりのある、湿気を含んだ空気が、ゆっくりと遠くから寄せては返してくる。もはや風に撫でられ靄となった粉糠雨を眺めながら、私たちはそれにすっかり包まれてしまって、頬をやわらかな感触が伝わっているのに、それでも片方の眼差しだけが互いにかすめあう。それは現実の丘ではなく、類推の果てに荒廃したまま投げ打たれた、殺風景な人工芝の広がりに臨む建築物の一角に立っていた。もはや汚染など笑い話に過ぎない。これは単なる思い出に過ぎない。虹色の水玉模様が、世界を包み始め、ビルの谷間に伸びる運河が、何の特性もなく象の鼻のように伸びている。その時、すでにその地に何十年も住み続けていた彼女が何を見ていたのか、思い出すことができない。消えてしまった方角が、記憶のなかに広がり始める。襟立てた外套の傍に目立つ紅の痣が、私には印象に残っている。そしてそこだけが、私に許された内側の領域であるかのようだった。狂い咲き、寒さのなかで萎れていき、そのうち滴と差別なく融けてしまう、この世ならざる花が、この夢の記憶の原因であった。これはまるで美術館のなかの眠りだった。そのせいで、私は一年以上も罪深い夢をみ続けていたのだった。

 

 

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モーリス・ラヴェルが森の木立の間に佇み、少し離れた場所を眺めるこの写真が、何故か私を強く捉えた。Twitterのファンアカウントから深夜流れてきたこの写真には、「森を眺めるラヴェル」という題が付いていたが、私には奇妙に思えた。彼の見つめる方向より凡そ二時傾いたところに傘を刺した婦人がおり、奥には子どものように小さく映った一組の、あるいは単に並置された男女がいる。巨木が遠近感を狂わせ、そこには存在しない動きを、あるいはざわめきを感じさせる。消失点へ眼差しは誘われていくのに、そこはコントゥアに遮られてしまっていて、突如緩く縒られていた視線が解けてしまうのである。縫い糸が、切断面から油断ならぬ様子で、フェルト面に開かれた針のトンネルを通過しながら、一挙に解されてしまうかのように、視線はこの像が引き寄せる力それ自体によって惑乱させられてしまう。

その結果、ふと心に浮かんだのは、ルネ・マグリットの「白紙委任状」だった。

 

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おもむろに私は噎び泣きたい思いに駆られる。ほとんど息を強く吐き出しかけたが、その時鋭くエンジンを蒸かす音が響き、国道沿いの奇妙な、あたかも詐術の終わりに場を満たすそれのような空虚に、私は気持ちをすっかり嚥下されてしまい、手元の珈琲の香りすら、抽象的な自己憐憫を禁じえぬまま呻いているのに気づいた。私は謝りたいと思いながら、電話越しに悪夢に囚われはじめ、私の《現在》はアレルギー性の炎症を起こした皮膚のように、表層を崩し始める。手をそこに就けば、私の手には鈍色の《現在》の残り滓が残される。姿勢はもはや、保つこのできないものとしてのみ、私の身体を支配し、眠りのない夢に突き落とそうというわけだった。恐ろしかった。しがみつくことに必死になってしまい、全身の強張りは思考そのものとなった。愚かだった。そのような濃密な影がすぐそこに、扉の向こうに感じられた。息を漏らす音が聞こえていた。耳を塞ぎたかった。だがそれ以上に舌を縺れさせていた。その上、私は聞きたかった。だが何を、何を聴きたかったというのか。私は耳を澄ませ、塞いでいた。そちらへは注意を向けないように心掛けていた。にもかかわわらず、時間への渇きが、息の渇きとともに訪れた。

 

Atが、Atとしてはもはや存在しない。Atは客観的に必然的に、流れを止める。

 

 

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Kanashimi ha tewo totte, etto ah,

Kiki oboe ha aru,

Sore ha Queen no Uta dakke.

 

 

私が獣だった頃、獣であることをやめることを誓った。だが、単にそうであることを忘れるためだけに、二足歩行をはじめた。それが程よく困難な課題で、そのうえ風が固く伸びた黒い耳に、ざらついた騒音を掻き立てたからだ。

 

 

Atを払いのけることができた時、素直に私は思う、だがその思いに名前を付けることはできない。Atがまだ私の毛に絡んでいる時、私は喉の奥に焼き印を押され、頸を高く伸ばすしかない。Atが再び離れていく時、その時は間近だが、そうなれば私は聴くことができるのだろうか、そして私は語ることができるだろうか。その先に。先にいる、指先にいる、私はもう指されているのではなく、血のように赤い新たなる訪れとなった、その先に立っている、名付けえぬものと。これは、そう、敢えて言えば、願いだ。