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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

Mémoire du sommeil 5

18-25. March 2020

 

幸せは悪あがきの終わる時にやってくる。それは所詮諦念の一つの形に過ぎない。
復興期の精神の到来は、その後すぐのことだ。

それはまるで、不眠症患者の部屋に差し込む朝陽のように紅に染まっている。

 

 

幸せを、あるいは幸せだった時を、湿気たスルメの様に噛み締めるような曲をたくさん書くシンガーソングライターは腐るほどいる。スターバックスに行けば、そんな曲ばかりかかっていて、止めてくれと言いたくなるほどで、この場所が砂糖菓子に過ぎないことを、そしてこんな社会はフェイクだということを嫌というほど思い知らせてくれる。

とはいえ一回気持ちを切り替えてみよう。昼下がりの光に照らし出された郊外、あるいは都市の喧騒が夕闇に沈んでいく瞬間、地上とはそもそも照らし出されるべき場所であり、底のみには輝きがなく、私たちは夜が明けるのを待たなければならない。そんな時に、そんな曲を聴いてみることはあるのかもしれない。

痛みが酷ければ、それだけ治癒の訪れを信じたくなるものだ。息が切れているときほど走ることが幸せな瞬間はない。たとえそれが幻に過ぎないとしても、私たちは生きている限り地上に縛り付けられていて、地上は冷え切っていようと、光を失っていようと、自ら温めることも、光を発することもできない非力の卑しき存在なのだ。

彼ら彼女らの退屈な曲が、退屈から生まれたに過ぎない曲が、密かに紛れ込ませている美感的道徳論に、一瞥をくれよう。大学生が暇に任せて青春を謳歌する時、彼らは何を信じて立っているのだろうか。なぜ朧に輝く太陽が都市に降り注いているような写真を撮るのだろうか。初夏の芝生のうえで、性的関係に沈黙しながら華やいでいる彼らの友情というものは何なのだろうか。

麗らかさを超え、もはや殺意を滾らせる太陽こそがもっとも放埓な自然を解放するように、あるいは恰もバッカスの信女たちを模した『スプリング・ブレイカーズ』や『ミッドサマー』のようなコミューンが出没するように、明るく透き通った、もっとも爽やかな空間が一度構成されると、そこは大麻の煙で満たされていき、皆殺しのための情報が派手なネオンに映し出される。海辺には何台もの屈強なボディをもったジープやバンが居ならなんでいる。その影へ連れ込まれた学生たちが、弁護士を連れた小太りの男たちに袋をかぶせられ、殴打され、しまいに頭を撃ち抜かれる。女たちは機関銃をもってコテージを襲う。そして最後には、涙を流して喜ぶ表情が、昨日の男/女、最高/最悪だったねというような下らない会話が、海辺を走るバスのなかで眠りを誘う。その手には十字架を固く握りしめているかもしれず、残照を照り返すその銀色の装飾品に、未知の領域に再び現れたモノリスを重ねてしまう。

止めだ。やはりそんな曲は聴かないに越したことがない。彼らの曲は精神のペストかもしれない。だが、確かに今この世界に広まりつつある破滅の足跡は、いずれにせよ、私たちに最もシンプルな形での讃美を要求してくるのだ。つまり、君たちの勝だ、私たちは負けだ、身を引こう、そして避難先の小狭しい小屋の中で、私たちは人間の美しさをもう一度確認するために、生の美しさをもう一度確認するために、そこに醜さや非情さが紛れ込もうと、全てを肯定するつもりで十日に渡って語り合おう、と。彼らの曲はつまるところ、彼らの曲はウィルス、もしくは資本主義に対して讃美しながら、密かに「憧れ」とか「愛」と呼ばれる感情を大きくかき混ぜようとしている。

 

 

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    Der Freund. Hier ist ja wohl ein Platz, wo wir beides sehen können, und zugleich durch die Oeffnung des Thals die Aussicht nach den fernen blauen Bergen genießen?
    Adelbert. Richtig. Hier sitzen wir auf einem Punkt, der mir selbst noch ganz neu ist. Die weitre Aussicht verschönert den Ort noch mehr.
    Der Freund. Es ist doch ein eignes Gefühl, der Befriedigung zugleich und der Sehnsucht, wovon wir in solchen Scenen der Natur erfüllt werden. Ich kann mir wohl denken. daß nicht jeder deine innige Lust an diesem Platz mit dir theilt, wie du auch vorher sagtest. Den meiste ist das Thal gewiß zu beschränkt.
    Adelbert. Ja wohl. Mir aber ist grade das so lieb daran. Es erregt mir ein Gefühl von Behagen und Genügsamkeit, von ruhigem stillen Besitze, das mit einer unerklärbaren tiefen Wehmuth und Sehnsucht nicht so wohl verknüpft, als Eins und dasselbe ist.
    Der Freund. In dieser Sehnsucht eben, glaube ich fast, liegt der große Reiz, den der Anblick der schönen Natur mit sich führt, und sie erscheint unter den mannigfaltigkeiten Gestallten. Was zum Beispiel hier ein stilles Sehnen nach Ruhe und reiner Heiterkeit des Gemüths ist, das ist bei wilden Gebirgen, tosenden Gewässern ein Drang nach ausgebreiteter und gewaltsamer Thätigkeit. Die Gegenstände der Natur schlagen die verwandten Saiten in unsrem Inneren an, und, da wir stets thätig und in der Ruhe unbefriedigt bleiben, so werden durch jene Erregung wenigstens innere Schwingungen in uns hervorgebracht.

K.W.F. Solger: Erwin: Vier Gespräche über das Schöne und die Kunst. Bd.1. S.2-3. 

 

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 眠りを、眠りを欲しい。覚醒の浅い日々が、眠りに至りつけぬまま絶えるのだろうか。