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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

気持ちが切れたのか、それとも疲れ切っただけなのか、書き表すことに関心がむかなくなっていた。そのような思考回路が壊れていた。文書に直面すれば次第に朦朧とし、厭気がさし、眠っていたし、徒労感というか、虚しさに耐え難くもあった。

今回の一連の事態で、私は自分の両親と家業の心配が先に、そして非常勤先のオンライン授業のための業務が次に、最後に自分の学位論文に関しての不安が押し寄せてきた。補償金や金利に関して調べたり、大体の計算を試しにしたり、印刷したり。あるいはスライドを作成したり、課題などのためMoodleを構築したり、口頭で伝えれば早いことを書き起こして逐一知らせたり。他にも書類をいくつも作成した。

あとの時間は可能な限り研究に当てなければならないが、集中を欠いたまま時間がすぎるので一層焦りが募る。何も進まない。図書館も閉まっている。大学にもなるべく行ってはならない。逃げ場所はない。

こうしたことが一ヶ月続き、たった一ヶ月と思えない心労があった。

何人もメールのやり取りが途絶えている人がいて、申し訳ないと思いつつ、一向に言葉を奮い起こすことができずにいる。

活発に筆が進む時もあった。たくさんの文献に目を通し、メモを取り、まとめ、考えるという当たり前のことができなくなるのは、季節的な要因もあるだろう。

憂さというのは、埃のように知らぬうちに隅に溜まっていくので、風通し良くするために、何がしかに興じる必要もあるだろうが、今はそれも難しい。出かけたり、酒を飲みに行ったり、そういうことができない。忙しかったのもあるし、自粛というより懸念によって。もちろん恐怖もないわけではない。だがそれは次第に薄まっていくものだろうし、幸いそれほど感染が広がっている地域に住んでいるわけではないから。

思考を線状に、今は撚り直していくことができない。

たくさんのことがあって、たくさんのことに意識が分散してしまって、今はゆったり湖上に分散する葉に、蜘蛛の糸を垂らすように拾っていかなければならない。

こういうことはかなり困難で、ずっと失敗し続けてきたが、今度はとにかくやり遂げなければならない。