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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

仄暗い日々に

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雨が降ったり止んだりを繰り返し、時間が過ぎていくのを数えている。一粒が可能な地平面と音域を累乗し、歪ませるほど空間は綺麗に色合いを変えていく。思い出がそこに溶け始め、みたことのない夢が若き日々を侵食し始める。気づけば夕闇に蹲る小さな家の片隅で、テレビをいつまでもみていたことに気づく。見飽きたタレントたちが歌ったり笑ったり、着飾ってクイズに答えたりする。そうしたファッション・アイコンを皆殺しにするため、オレンジを切り開くようにナイフで指を一本ずつ切開していた。血がゆっくり溢れ出し、意外なほどすぐに冷えてしまって、黒々と床に溜まり始める。光がなければ、血もまた色を失う。

梅雨には頭と身体の繊維があちこち痛み出す。これといって疾患があるわけでもないのに、自分の体が自分のものではなくなっていく。蒸し暑い上遅延してくるバスに乗っているのがあまりに苦痛で自転車に変えるものの、自転車で火照った体は満員電車を耐え切れるはずもなく、あっという間に落伍していく。学校に行くことすらできない。そうして毎日を無為に過ごしているわけにもいかないから、溺れていく、息ができないほど、嵌まり込んでいく、より暗いところへ。埃ひとつ立つことのない、全てが動きを止める場所で、私の心臓すらも感じられないほど長い感覚で拍動する。さようなら、明後日、さようなら、17歳。

10代はアルカリに浸されたアルミニウムのように、低いところを跳ね回って、あっという間に泡立ち消えていく。本を読もうが、映画を見ようが、じっとしているのが苦痛で、食いしばりながら貧乏ゆすりで気を紛らわせる。黒い傘さして私は外へ歩きに出て、どこにいくこともできないから、車が忙しなくかけていく傍を、狭い県道をどこまでも進んでいく。川に突き当たれば水鳥が馬鹿みたいにはしゃいでいて、川縁に服を干していた浮浪者が橋桁に突っ立って、言いようもない視線を遠くに向けている。橋の中央に立って、私は傘を放ってしまおうかと考えた。傘を放って、一緒に私は飛んでいく。その時、低気圧へ吹き込んでいく濃緑の風が傘をさらっていった。そして、その瞬間に私も消えていた。歳を取り過ぎた桜並木にいよいよチェーンソーが食い込んでいるところだった。木屑が舞って、ソメイヨシノはめりめり倒れていく。

夢はいつまでも続いている。私はもう見ることがない。

円蓋へと熱い蒸気が吹き出し、あたりに充満している。

廃墟となったモールもホテルも捨て子の霊で満ちている。

幼生のまま蝉は木の幹で窒息する。

夏は不吉な地鳴りとともに去っていった。

誰も知らない悲哀は硬い殻をなし、満月の海を白々と漂う。

 

彼らはあっという間に死んでいく。27歳で死んで、21歳で死んで、40代にも死んで、歌声だけを残して死んでいく。

そう、20代もすぐ消える。硝酸やアンモニアの臭いを残し、暗く曇った空のもとで、虚しさに勝つことなどできないまま。食べられていく。消化され、流されて、まだ刺青だらけの臍の緒もつながったままなのに。

仄暗い日々に大きな藁半紙に迷路を描き続けて、誰もそこを辿ることもないまま、引き出しに仕舞い込んでしまう。片隅に転がっていた橄欖石、私はそれを覗き込む。葉緑の澄んだ輝きが、幾重もの反射に包み上げて隠しているのは、静かに佇む小さな社だった。社の奥で眠り続ける蚯蚓腫れだらけの片腕を抱いて眠ることにした。

音楽は止まない。鉄は熱く響き続けている。

橄欖石は光が失われてもなお輝いている。

血はゆっくり布団を浸して、硬質の葉は繁ってゆく。

私は心地よく息を吐き出した。