今日は本を四冊注文した。どれも専門書なのでとても高かった。だがこれで博論とは別に少しばかり楽しめるだろう。そしてまた新たな研究が始められるだろう(今は推進しないが)。
買ったのは
『「世界文学」はつくられる 1827-2020』
『イエズス会師と普遍の帝国』
『ファウスト研究序説』
最近の関心事は、以前の関心事とそれほど変わりなく、同じことをさらに拡大して調べながら考えるという過程を続けている。
博士論文もあるが、それを書くためには自分のなかで納得のいく理論的な基盤がなければならないと感じて、ずっと取り組んできたのは、メタファーについてだ。
メタファーの認識論的機能を考える時、そこに含意されているもの何か、ということが問題になる。メタファーはメタファーでしかない、といって語の外延から堀崩していくのは、ここではあまり優れた戦略ではないだろう。そもそも私たちの日常的な言葉遣いにそういう表現はあまりに根深く生きているので、無視できることはないし、言葉の意味を取っ払うことなどできない。
連想をあてにした表現とでもいえるだろうし、意味の機能主義的な見方だともいえるだろう。
そしてその限りで、私たちにとって生物学的世界観ほど、奇妙なものはない。例えば、人間は生物である、と言った表現にどのような真理が含まれているかを考えると馬鹿馬鹿しく感じられる。これほど論理的に誤った馬鹿馬鹿しい常識はないのである。
これから連想すれば、生物学的に特異な世界観を形成することは困難だろう。生物学が独自の「自然科学」分野であることは、今後できない。そしてそこが蟻の一穴である。
それはともかく、私としてはまず、足元を拡大していきたい。セシル・ローズなんてクソだが、大胯開いて跨ぎたいのは分野。
今の博論を終えることさえできれば、来年以降、必要があるので技術思想史を中心に扱いながらも、一方でヴァールブルクをメインに据えて、19世紀から世紀転換期、戦間期までの思想史を対象にするつもりだ。私の野心は、ライプニッツから現代までの思想とテクノロジーを展望し、歴史の哲学を可能にすることだ。