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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

翻訳論覚書 I

翻訳は置き移す行為であり、ある概念的対象もまた別の言語環境という文脈に置き移された時、本来とは異なる色合いを帯びてしまう。言語表現のなかにあるのは、語や文の接続と言語的文脈、語用的/実践的/遂行的文脈のなかで様々に変わる概念的対象の独自の存在様態だけである。

 こうしたことを考えることは、その実言語の遂行的側面を考える手がかりになるだけでなく、意味論の深みへと降りていく梯子を用意してくれるに違いない。それだけではない、むしろ言語や記号が自律的な科学分野になる19世紀終わり以前では言語が常に世界観と比較されて論じられてきたように、そしてそれは正当な営みであると思うのだが、やはり言語は単なる指示の道具ではない。そして翻訳が直面するのは、この困難さ、言語の独自の性質が、自ずと社会言語学的なテーマを生み出すということだ。社会言語学がダイグロシアなどを問題にする時、そこにも翻訳の、言語の困難さが自ずと影を落としているのである。

 さしあたって手軽に参考になるのは、 ミカエル・ウスティノフの『翻訳』である。

そこにはこうある。

翻訳の威力は時に救いをもたらすが、その欠如はしばしば致命的である。現存する言語の九六パーセントが、地球上のわずか四パーセントの人口によって話されているという事実を思い起こすと、そこには明らかに大きな問題が提起される。*1

 私はTwitterでも常々英語の覇権について抵抗感を示してきた。というのも、当然英語こそが最も翻訳の活発な言語であるだろうから、それ故にこそ社会言語学的な問題が生じていると感じているからだ。

 ドイツ語圏での翻訳論の研究も蓄積があるため、今後順次追って行こうと思っている。私自身の博論や博論後の研究主題にはそれほど深く関係しているわけではないとはいえ、言語それ自体についての興味関心は消えることがないし、それを研究せずしていかなる文学研究も不可能であると思っている(これは言語研究に文学研究が還元されると言っているわけではない)。また、一人の作家や思想家による多重言語の著述についても、当然興味が湧くところではある。

 ところで、上述のような翻訳の困難さは言い古されたものでもある。私の関心が置かれているのは、そこにある一種の因果論的、形而上学的な問題や、社会言語学的な問題である。ここでまず覚書としておきたいのは、因果論的な問題である。

 以前から日本語の因果的・時間的な表現における冗長さが気にかかっていた。例えば英語では”with”、ドイツ語では”mit”、中国語では「用」という語で表現される、同時的、付帯的な事柄、また性質の表現が、日本語では難しく感じるということだ。それだけでなく、イメージの連鎖が関係代名詞やドイツ語でいう”da”を用いて表現されているところ、日本語ではその因果的・時間的な順序が奇妙なことになりかねないと思っていた。これは文学作品では比較的致命的な問題であり、作者や物語内の語り手の視点の移動や、視点の向こう側にある事物の存在的次元を汲み取ることに関わってくる。

 例えばカフカの『審判』の冒頭の幾つかの箇所を見てみよう。

Es fiel ihm zwar gleich ein, dass er das nicht hätte laut sagen müssen und dass er dadurch gewissermaßen ein Beaufsichtigungsrecht des Fremden anerkannte, aber es schien ihm jetzt nicht wichtig. *2

この箇所は見知らぬ男がある朝やってきた、最初の下りにある一場面だ。そこでKは自分の発言を即座に反芻し、その上でその重要性を打ち消す。試しに訳してみれば、「確かに彼に即座に思い浮かんだのは、そんなことを騒々しくも言う必要はなかっただろう、そしてそうしたことで、自分は不審な男の監督権をある程度承認したのだ、ということだが、しかしそのことは彼にとって今のところ重要ではないように思われた」となる。さて、英訳はどうなっているかといえば、

It immediately occurred to him that he needn't have said this out loud, and that he must to some extent have acknowledged their authority by doing so, but that didn't seem important to him at the time. *3 

authorityが正確にも「決定権」として使われているわけだが、これでは”auf/sicht”のもつニュアンスが若干逃れていくのもやむなしである。その他は特に問題がないように思う。ことが決定的なのは、日本語訳である。ここでは手許にあるものを参照する。

はっきり云ってしまってから、これではかえって男の監督権をこちらから認めるようなものだとすぐ気がついたが、それはたいして問題とするに足りないことだ。*4

 予め断っておけば、この翻訳を難あるものと決めつけ論うことが目的ではないし、たった一つの翻訳でしかないわけだから、あくまで覚書に過ぎない。

 さて、この翻訳では日本語的な通りはいいものの、「余計なことを述べた」という彼のなかの印象が「しまって」とか「ようなものだ」という主観的なイメージで述べられているのだが、印象でありながら原文ではより客観的な叙述になっていることははっきりしている。まして「承認した」は事実的に記述されている。「ようなもの」ではない。そして「重要ではない」に「程度」は勘案されていないものの、翻訳では勘案されているように読める。また、その文はあくまで原文では主観的なのに、逆に客観的になってしまっている。

 何より時間的な継起が曖昧になっているのは一目瞭然である。確かに動詞を「気づく」とすればこのような順序で正しくも見えるが、「思い浮かぶ」という動詞ならばどうだろうか。日本語的にはしかし、それに即した時間は文章で表現することが難しい。

 また、次の文ではより明白に時間的な問題が浮き彫りになっている。 

Durch das offene Fenster erblickte man wieder die alte Frau, die mit wahrhaft greisenhafter Neugierde zu dem jetzt gegenüberliegenden Fenster getreten war, um auch weiterhin alles zu sehn. *5

試しに訳せば、「開かれた窓を通してあの老女が再び見えた。彼女は引き続き一部始終を見るために、まさしく年寄り臭い野次馬根性で、この時通り向かいになっていた窓へ寄ってきたのだ。」この一文では、まず「開かれた窓」に「老女」が「見える」という事実があり、その老女の様子が引き続き動詞一つで書かれ、その目的が明らかになるという、意識の流れが克明に描かれている。

Through the open window he noticed the old woman again, who had come close to the window opposite so that she could continue to see everything. She was showing an inquisitiveness that really made it seem like she was going senile. *6

この英訳では、だいぶ印象が異なる。まず”mit”で性質として付帯されていたものが、先立つ「行為」から読み取られるべきものとして提示されている。これでは原文の時間的継起を移し替えるための正確性は失われてしまうだろう。また、一文目の主語が変わってしまっている。実質的にこの場面の視点は、英訳だとKに置かれてしまうのだが、原文ではそうではないことは明らかである。また、時間的に場面が映ったことを表していた「jetzt」が完全に翻訳では落ちてしまっている。”senile”という訳語の選択はしかし、巧みではある。

 さて、日本語訳ではどうなるかといえば、

 例の老婆が、今度はこの部屋に面した窓際に現われ、最後まで様子を見とどけるつもりなのかいかにも老人くさい好奇心の眼を光らせている、それが見えた。*7 

これではまるっきし時間がひっくり返ってしまうのだが、それはこの訳文が老婆の行為の因果的順序にしたがっているように見えるからだ。そしてこれは大変な問題であると思う。また、「好奇心の眼を光らせる」と訳すことで、動詞が増えてしまうことも問題だ。

 日本語はどうしても動詞が増えやすい言語であると、散文を書いたりしていると感じることがある。それでは意図的な動詞の多様なのかどうかがわかりにくいとか、様々な問題が生じてしまうことになる。これをどう克服することができるのか。文語を再び導入すれば、硬くはなるが多少解決できるだろうが、言文一致では難しい。

 

*1:18頁

*2:Franz Kafka: Der Process. Reclam. S.8.

*3:Project Gutenbergより。http://www.gutenberg.org/cache/epub/7849/pg7849-images.html

*4:本野亨一訳、角川文庫、昭和28年。6頁。

*5:S.8.

*6:Gutenbergより

*7:7頁。