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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

日記

今日は朝5時に目が覚めてしまったことで、午前中に作業をいろいろしていた割に、午後には疲れが出てしまったので、のんびり過ごすほかなかった。日暮れには強烈な低気圧が積乱雲を発達させ、涼しくて湿った風が吹き始めたと思った途端空が暗くなり、雷鳴が轟いた。夕立がやってきて、地面に水が浮くほどの勢いで1時間以上降り続けた。

 そのせいもあって今夜も妻とドライブをしたが、あたり一体靄が立ち込めていた。森のなか、すれ違う車がなければ当たりは真っ暗である。ヘッドライトの角度を上げると、漂っている白い裾のようなそれは、亡霊か、あるいは地面から立ち上る獣と黴の混ざった臭いの視覚的表現に思える。暑苦しいことはない。ここはむしろ涼しいのだが、それでも何かが腐るには十分な温度と湿度なのだ。

 アクセルを踏み込み、くねった山道を進み、そして街へ降りてくる。その間様々な経緯があって宇多田ヒカルのメドレーだった。コンビニで買ったパピコを食べながら宇多田ヒカルを聴いていると、途端に90年代に思いが向かう。自分の幼年期。とても暗かった。全てが暗い。阪神淡路は流石にほとんど覚えていない。しかしシンデレラ城で恐怖の3D映画が上映されていた東京ディズニーリゾートは覚えているし、オウムや神戸の凶悪犯罪、毒カレーはほとんど覚えていないが、ノストラダムスは覚えている。

 90年代はまるで身を寄せ合うようにして賑々しい街明かりや家の暖かな光に人が集っていた。私の記憶、そして人格はその時代と切り離すことは決してできない。思えば名古屋、特に栄や星ヶ丘、そして本山や覚王山、東山、つまり東山線沿線の文化的な「集落」も90年代の残滓であることには違いない。

 ゆっくりと滅んでいくこの時代のこの国にあって、最初の一撃があったあの頃に気持ちが傾くのは、単に人口ボリュームに左右されるメディア環境だけがそうさせているだけではないだろう。

 またあの幼い頃に夢見ていた、塩釜口のケーキ屋の苺のショートケーキを食べることはあるのだろうか。しかし、もうその可能性はない。

 暗い街角に囲まれて存在していた、色とりどりの電飾が美しく感じられたあのケーキ屋は、今はもう代替わりしたのち閉業してしまったのだ。

 あるいは共働きの中、寂しさを紛らわすためだったのか、なぜか時々おもちゃが隠れていた箪笥。あの箪笥はイフの塊だった。

 

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