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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

雑記 Nov. 2022

この数ヶ月Twitterもあまり見る時間もなかったのだが、そうこうしているうちにTwitterから離れていく人々が増えていった。短文を適当に流したい気持ちもあるものの、そろそろ生み出すことに本腰を入れないといけないとも思うので、ブログに再び移行しようという気持ちが私のなかにも浮上してきた。実際来年は日本にいない時間が長いわけなので、そういうところでTwitterを眺めていても仕方がないので、他のコミュニケーションツールを探すがいいに決まっている。とはいえそれがブログであるべきかはわからない。いずれにせよ、宣伝すべきものがあるわけでもなく、広く人に読まれる必要のあるものは何一つ私は生み出してなどいないので、こういうひっそりとしたブログで十分かも知れない。

やることが何一つ減っていかず、ちっとも落ち着きはしないのだが、それでもなんとか元気にしています、と胸の内で独りごつことも増えてきた。みんな達者だろうかと物悲しく思い起こす人が増えてきた。自分でできることが増え、人に任せられるべきものを自覚しながら、一人の時間が孤独な時間へと変わっていく。一人の時間は鍛錬やらなんやらの時間、つまり準備の時間であって、人といる時間は計画を実行している時間。何か自分だけの事柄にひっそりと、うっとりと浸る時間などほとんど消滅し、読書の楽しみすらほとんどない。ほとんどないという言葉遣いもまた、現在の状況に対する不満ゆえなのである。

研究、研究、研究で追われているうちは幸せなことだろう。吐いたって倒れたって自分だけで済むならばなんと自由なのだろうか。

鳥が自由というのいうのならば、自由に飛び、自由に落ちて死ぬことができるということだろうか。

家移りは本当に骨が折れたし、前の住環境に惜別を告げることもできないまま慌ただしくして、結果的に新たな二人の生活、そして家政・家事を仕切りながら、JSPS申請したり、論文を書いたり発表したり、学位をとったり、プライベートの時間を作り出したりしながら24時間動き続けた感覚のある一年数ヶ月が、まるで夢幻だったかのようで、毎日毎日ふとため息をついてしまうと、物悲しさで胸が苦しくなる。もう何ヶ月も。

だがこのままさらに数ヶ月もしたら海を渡るのだから。

Peregrinatio academica!

お前をどれほど待ち望んでいたか!
だがきっと朝焼けのように現れ、夕焼けのように消えていくだろう。それでも夜にはぐっすり眠れるように、異国であろうと惜しまず汗を流そうではないか。