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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

記録:Werner Frick (1988) Providenz und Kontingenz

しばらく移動したりで忙しくしていたため更新を止めていた。基本的には大学図書館を訪れたり、資料の整理などに追われていたというのもあるが、結局ここ数日南西部国境近くまでローカル電車を乗り継いでフライブルクまで行ってきたわけだ。その目的は一つにこの本の著者の先生に会いに行くことだった。この本は彼の博士学位請求論文であり、出版年より一年引くとしたら34歳の時に書いたことになる。私も今30歳であり、このような本が書けるように努力したいところだ。話題に出すとすごく照れくさそうにしていたので、踏み込んだ議論について聞くことが十分できず、心残りでもあるのだが、今となっては非常によく理解できる研究であり、ある意味で「質問」はもはやない(もちろんあったほうがいいのだが)。感動したことを伝えられただけでいい。

Werner Frick (1988) Providenz und Kontingenz. De Gruyter.

doi.org

この本と出会ったのは、以前日本独文学会の蓼科ゼミナールにオンライン参加した時に、SchnabelのFataが課題にあがっており、それを読みつつ研究文献を探していたら見つけた。一見するとFataとどのような関係にあるかはわからないかもしれない。しかし、そもそもFata自体が自然権やあの時代の自然主義の問題を背景に読むことで一層興味深いものにになる(そして実際そのような文脈を持っているわけだが)。これは間違いないことであり、この研究書も世俗化を中心問題として導入しながら、小説理論がバロックから啓蒙に時代が下るとともにどのように変化するか、そしてそれは世俗化(特にここでは公的な事柄に関する関心が薄れるということが一つ鍵になっているわけだが)という歴史学的カテゴリーや、摂理(Providenz)や世界の不確定性(Kontingenz)の哲学・神学的問題をどのように提示しているかを分析している。非常に重要な文献だと思っており、最近出版された論文でもこの問題を扱うに際してこの本の予定調和に関する議論を引いている(本当はそこだけを引くべきではなかったかもしれないが、それは今後このテーマで論文をいくつか書いていく間に提示できればいい)。一応29歳の時に書いた。

悪の透明化 : 18世紀ドイツ語圏人間学的言説における認識的障害と不幸の文芸 | CiNii Research

実はこのようなテーマで小説理論なり劇作なりを分析した研究はそれほど多くないように見受けられる。それがなぜなのかはわからない。しかし彼から、哲学も学んでいたかと聞かれ、もちろんと答えたが、実際哲学の何を学ぶかによってもかなり文学研究のテイストも変わってくるので、自然法などは当時の作家たちが多く学んでいた法学部で当然ならうテーマであるにもかかわらず、自然哲学に比べてあまり人気もなく(自然哲学を学ぶなら当然自然法も学んだほうがいいのだが)、現象学と比べれば…。

それはともかく、Fataは第二章で扱われる。りあえずここでわざわざ書いておいたほうがいいかもしれないのは、第一章と第三章についてだろう。少なくとも今回重要だと思っていたので電車の中で読み返して、とてもクリアに理解できたはずだ。以下はメモなのでご容赦。

第一章ではバロック小説、特にここではHeinrich Anselm von Ziegler und Kiphausen (1663-1697) の "Asiatische Banise" (1689) に焦点が当てられる。この劇は国家の衰亡が繰り広げ荒れる東洋が舞台となり、Zieglerは旅行記などの史的素材を用いてこのプロットのこった群像小説を仕立て上げていく。この小説は18世紀に入っても言及があることがあり、小説理論の発展を考察する上で見逃すことのできない同時代のお手本だった。

では何をしてこの小説が参照すべきものだったのか。ドラマツルギーだ。つまり史的な素材ではなく歴史哲学的要素が基本的この小説の筋書きを定めるのであり、それこそが参照すべきものでもあった。そしてこの小説が物語を形成していく仕組みは単なるhistoria literariaのような文献学的正確性に依拠した叙述、つまり史的事実ではないということをFrickは指摘する。

その上で、その歴史哲学的な枠組みはバロック劇において何かということが問われる。それが救済史であり、この小説の中の登場人物は、明示的な神の介入を目撃するわけではないが、運命や摂理のもとに歴史が展開されることを理解し、登場人物は神の印とともに生き、またそれを適切に読み解くか、また裏切ったりするかどうかで結果が変わっていくことを理解している。興味深い議論が丹念に展開されていて、引用も的確であり、お手本のようであったことは言うまでもない。

こうした救済史的な歴史哲学、あるいは弁神論は、LeibnizやVoltaireなど1700年前後にも様々に展開され、この時に自然権の問題は露出してくる。つまり普遍史の問題に直結するわけであり、世界の完成に向けて全てのものは何らかの役割を担うのであり、どのような権威であってもそれは神の摂理に定めら得ているという理解、つまりルター派Orthodoxie的なモナルヒーの思想が、歴史叙述にも小説にも表れていることがわかる。だがこの時モナルヒーも自らというものを持ってはいないのであって、ここが決定的な点である。だからその後も18世紀前半の貴族の悲劇が書かれるのであり、それに対する市民悲劇の動きも、この自らのなさが主題にはいってくる(この辺りはKarl Eiblも色々書いている)。

書誌情報:Karl Eibl (1995) Die Entstehung der Poesie. Insel. (今は完全に絶版)

実際18世紀の前半にスイスの批評家たち、つまりJohann Jakob Bodmer (1698-1783)とJohann Jakob Breitinger (1701-1776)の作劇論が、Johann Christoph Gottsched (1700-1766)の作劇論を批判し(思えば同世代であり、前者がいわゆるGessner現象を代表する新世代みたいな感じで語られる一方で、Gottschedはたいてい影が薄い。しかしGottschedは早熟の天才と認められLeipzigでKreisを形成していたわけで、ここにも典型的なNaturとGesellschaftの対立があり、これを調停する仕方はいくかパターンがあるとはいえ、あえてここで名前をあげておきたいのはSophie von La Rocheであり、彼女の作品については発表したきりでおいたままにしているので論文にしたい)、いくつかの主要な概念をめぐる論争をした。詳細は省く。いずれにせよ、この世はは上述のものも含め長引き、その後同じくらいの年代にJohann Georg Sulzer  (1720-1779)が自然らしさという点を巡って議論し、旧来の小説理論が終わりに向かっていくことになる。そのとき自然らしさとは何のことを言っているのか、つまり、端的に虚構と真実の境界線に関してどのような見解が繰り広げられていくか、この問題に第三章は焦点を当てる。その際に特に分析されるのは、その時代より少し遡って、いち早く同様の議論を展開していたチューリヒ神学者であり風刺作家であった Gotthard Heidegger (1666-1711)の"Mythoscopia romantica" (1698)が取り上げられる。この運びがとても興味深いわけで、やはりチューリヒの人物が取り上げられる。

こうした人物たちの直接的な関わりは特に多く論じられるわけでもないし、仄めかされるわけでもなかったと思うが、ここは調べがいがある。

また追加するべきことも多くあるが、一旦終わる。