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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

記録:Aleida Assmann (1998) Der Sammler als Pedant

Aleida Assmann (1998) Der Sammler als Pedant. In: Aleida Assmann, Monika Gomille und Gabriele Rippl (Hg. ) Sammler - Bibliographie - Exzentriker. Tübingen (Gunter Narr) 1998, S. 261-274.

好古家という日本語としての表現は確かに古いのだが、17世紀以前に遡ることがあってもそれは語源的な問題にすぎないかもしれない。現在訳合って江戸時代のこのことについても色々調べているが、ここでおそらく重要となるのは好古とは「奇」なるものを「弄」するということと変わりなく、好古家とは一種の変わり者であると認識されていたことだ。そして好古家という社会的カテゴリーが18世紀に入る頃に確立したといのは洋の東西を問わないかもしれず、その理由を探る必要があるだろう(そして私にはいくつか仮説はすでにある)。

アライダ・アスマン (Aleida Assmann) のこの論文、そして彼女によるこの論集の導入でも、この点は一種の人類学的現象として理解される可能性が示されている。

どうやら人は古びてしまったものを好むことが普通ない。その上、収集されるものというのは常に古びたものであるということも言える。例えばマイケル・トンプソン(Michel Thompson)「ゴミ理論(rubbish theory)」で明言されているように、アーカイブされる収集品とゴミとの境界は曖昧である。なるほど骨格標本と食べ残しで放棄された骨との境界も曖昧だ。むしろこう述べることも許されるだろう。ゴミは一定の加工処理をされることで収集品となる。

これはネガティブな事実ではない。むしろゴミとされるものが何かを理解すること、あるいはゴミとされているものから判明する事柄から政治的・社会的な問題を拾い上げることは、収集されているものについての理解や収集の政治的・社会的な問題と鏡のように合わせて理解される必要があるという、学問的な課題を端的に示しているだけだ。

この収集品とゴミとの境界が曖昧であることは、どれだけ強調してもいい事実である。とはいえここで問題となるのは、むしろ蒐集家という人々のキャラクターの方だ。なぜある種の人は古いたもの、毀損されたり放棄されたりしたもの、そしてゴミとされるものを愛することができるのだろうか。そしてその愛は決して何かを理解するということでもないかもしれない。

Assmannはこの論文の翌年に出版した『想起の空間』Erinnerungsräume (1999) *1の第五章「アーカイブの彼岸」で実際トンプソンの理論を引いてこう述べている。

Das Archiv, das eine Sammel- und Konservierungsstelle für das Vergangene, aber nicht zu Verlierende ist, kann als ein umgelehrtes Spiegelbild zur Mülldeponie betrachtet werden, auf der das Vergangene eingesammelt und dem Zerfall überlassen wird. Archiv und Müll sind aber nicht nur durch eine bildliche Analogie, sondern auch durch eine gemeinsame Grenze miteinander verbunden, die von Gegenständen in beiden Richtungen überschritten werden kann. [...] Archiv und Müllhalde können obendrein als Embleme und Symptome für das kulturelle Erinnern und Vergessen gelesen werden, und in dieser Funktion haben sich Künstler, Philosophen und Wissenscafhtler in den letzten Jahrhunderten zunehmend für sie interessiert. (Aleida Assmann (1999) Erinnerungsräume. München (C.H. Beck) S. 383.)

ここを読むとはっきりするのは、想起と忘却の対、アーカイブとゴミ溜めの対、この二つの補完関係にある事柄の間には直感的アナロジーに限らない共通性が認められ、もはやアーカイブされたりゴミとして溜めてある対象自体によってこの境界が曖昧にされているということである。例えばそれが、時間経過とともに古びる、朽ちる、変質するということだ。

そしてAssmannが冒頭に挙げた論文で示す通りこれはフェティシズム、いや一種のネクロフィリアである。だが物は、打ち捨てられたものであろうと、おそらく死体と認識されているものよりも雄弁だ。いや死体だって、それがペルソナを剥がし落としてしまった後、解剖医にとっては雄弁となる。以前の所有者や以前の経歴をまとめ上げたペルソナを剥がしとる過程、不必要にまだ生々しい肉体を剥がしてとっていく過程、この加工処理によって捨てられてしまうものは収集品となる。しかし、この加工処理は一体どのようなことを意味するのだろう。

さらに、ここでもう一つの疑問が打ち立てられる。つまり、これまでしばしば言われてきたような、そのもの自体を愛する好古家などいたのだろうかということだ。17世紀に揶揄されていた姿というのは、それ以前にもそれ以後にも変わることがないだろう。揶揄されるべきかどうかは別として、そこには何がしかの真実があるだろうし、その上で言われるところの歴史家との区別などというのはどこに求められるのかを慎重な議論を要する。あっさりそういってしまうことはむしろ誤りであることが、モミリアーノやグラフトンの議論以後明らかだろう。

(もちろん私自身決定的な資料を出すことはできる。ここで出すくらいなら論文にしたいところだが、ある歴史学の教程を説く18世紀後半の書物にはアルケオロジーの対象を扱う古典的学問の不可欠は言われていたし、それゆえに物語的な、いって仕舞えば哲学的な歴史学とは異なる歴史学において、不確実な部分が残ることは悪いことではなく、不正確な埋め合わせをするよりマシであると理解されていた。この書物はランケより遥かに前であるし、遥かに節度がある)

この疑問に暗に応えるためにも、先に提示した加工処理の意味について考える必要がある。つまり加工処理における手法へのこだわりが、何もかもをそこに投げ込んでしまうことを可能にするような壺を作り出す。そのような壺によって収集されたものは対象や道具へ変化し、超えれにはおおよそ三つ種類がある。一つはそれが継承されるべきものとなること。次に商品となること。そして最後に治癒の道具となることである。

一つ目は博物館や記念碑、文書館といった施設の設営、あるいは保存すべき遺産としての認定など、社会的なアセスメントの設定とその運用を通じた文化的地位を特定の事物に与えることとして理解されるだろう。

二つ目は、例えば、天に新しきものなしということが皮肉を帯びて体現されるセカンドハンド市場である。そこはまさにアーカイブとしての市場、マネタイズされるゴミ溜めである。そこではゴミであればなんでも商品にすることができる。だから不要となった書籍から排出された体液まで、実質的には売買されうる。

(臓器売買や売血は、不要となったものではないはずだ。それは文字通り生きた肉そのものであり、生きたままにしておく加工をなすことによってしか貯蔵することはできない。だが技術的には生殖細胞の売買においても同じことが言えるが、おそらくそれらは排出される以上不要となりうるものだろう。つまりこれらを考慮に入れるとこの話はうまくいかない可能性すらある。このうまくいかない状況を、おそらく行政や司法の介入によってプラグマティックには解決できる。だから実際記憶は社会的な次元と生体の次元で論じられる必要があり、記憶の所有、記憶の放棄というのは両方の次元が交差した場所で極めてセンシティブな問題となっている。例えば技術的にいずれ可能となるだろう、トラウマを医療的配慮から忘却させるなど。『想起の空間』でもトラウマは一つの中心的な論点であるが、その背後には非常に多くの論点がまだまだ控えている)

だがさらにこの時、フェティシズムのための市場があるとするならば、本来の特定個人と結びついていたペルソナとは別のキャラクタライズが必要となる。どこで出土されたとか、誰の所有物であったとか、そういう来歴についての情報は、その最も核心に迫る情報が存在しないことでむしろ想像力を豊かにさせるように思われる。特定の他の情報を本来まとめ上げていた核心的なID情報を抜きにして、特定の性質にフォーカスできるようにする。むしろ名前とその名に付随した諸々の説明の間の構造が入れ替わり、特定の性質が物を代表し、名前や具体的な情報は、同一の性質の物の間の異なる特徴を説明する要素にすぎなくなる。

つまり、あえていえば、このような蒐集行為、フェティシズムは分類作業のプロセスを通じた種への愛にすぎないということだ(私はあえてここで記号という言葉、そしてプラトニズムという言葉の使用を避けていることに注意されたい)。ここで収集かが知りたいのは物の持つ具体的な性質や具体的な同定可能性をもたらす情報ではない。むしろそこで愛され、探求されているのは恣意的であれ特定の系列を想定することで、それら収集物の背景情報が構造化され、その結果明らかにされる事柄の深層である。

だが、例えばここにある古着、中古CD、あるいは死体、指紋、側溝に不自然に溜まった吸い殻などなどが明らかにすることとは何か。

三つ目の治癒は、このプロセスと多かれ少なかれ関わっているのも確かだ。つまりこのようなプロセスをひっくり返したところにある。核心に到達することを避け続けるための叙述に変化した叙述を止めるための可能性。収集のための収集を止める。何かを塞ぐためだけの収集、最後にはいかなる加工処理をも忘れて放置され、もはや腐敗が進んでいてもそこに置かれたままのものを片付ける。その腐敗を認識するための感覚をとり戻す。これらが必要となるとき、その方法は様々にありうる。だが外科的侵襲によって除去することができるとしても、そののち、そのトラウマの存在を前提に形成された生活・社会の空白地点を見つめ直した時に何を感じるだろうか。その不自然な空白をどのように受け止めることができるだろうか。

悪質なプロパガンダのために等閑なままにされながら何かを物語るように見せびらかされている獄門首や吊るされた死体、極右の掲げるある種の「資料」、あるいは小野不由美の『残穢』に登場した霊の囁きから逃れるために屋敷に積み上げられたゴミ。最後にそのような連想を残して、一旦ここまでにしよう。

 

 

*1:邦訳『想起の空間』安川晴基訳、水声社、2007年。この間新装版が出て手に入りやすくはなったらしい。A. アスマンのこの本は当然ながらミュージアム論やアーカイブ論でも参照されるべきであり、「〜の政治的言説」のような分野でばかり参照されたりしているのは勿体無いが、A. アスマンを翻訳紹介する人たちは皆その分野の人ばかりで、そもそもmaterial cultureに取り組む人が多くはないので仕方ないのかもしれない。翻訳者は適切な紹介を心がけるべきだとは思うが

記録:Werner Frick (1988) Providenz und Kontingenz

しばらく移動したりで忙しくしていたため更新を止めていた。基本的には大学図書館を訪れたり、資料の整理などに追われていたというのもあるが、結局ここ数日南西部国境近くまでローカル電車を乗り継いでフライブルクまで行ってきたわけだ。その目的は一つにこの本の著者の先生に会いに行くことだった。この本は彼の博士学位請求論文であり、出版年より一年引くとしたら34歳の時に書いたことになる。私も今30歳であり、このような本が書けるように努力したいところだ。話題に出すとすごく照れくさそうにしていたので、踏み込んだ議論について聞くことが十分できず、心残りでもあるのだが、今となっては非常によく理解できる研究であり、ある意味で「質問」はもはやない(もちろんあったほうがいいのだが)。感動したことを伝えられただけでいい。

Werner Frick (1988) Providenz und Kontingenz. De Gruyter.

doi.org

この本と出会ったのは、以前日本独文学会の蓼科ゼミナールにオンライン参加した時に、SchnabelのFataが課題にあがっており、それを読みつつ研究文献を探していたら見つけた。一見するとFataとどのような関係にあるかはわからないかもしれない。しかし、そもそもFata自体が自然権やあの時代の自然主義の問題を背景に読むことで一層興味深いものにになる(そして実際そのような文脈を持っているわけだが)。これは間違いないことであり、この研究書も世俗化を中心問題として導入しながら、小説理論がバロックから啓蒙に時代が下るとともにどのように変化するか、そしてそれは世俗化(特にここでは公的な事柄に関する関心が薄れるということが一つ鍵になっているわけだが)という歴史学的カテゴリーや、摂理(Providenz)や世界の不確定性(Kontingenz)の哲学・神学的問題をどのように提示しているかを分析している。非常に重要な文献だと思っており、最近出版された論文でもこの問題を扱うに際してこの本の予定調和に関する議論を引いている(本当はそこだけを引くべきではなかったかもしれないが、それは今後このテーマで論文をいくつか書いていく間に提示できればいい)。一応29歳の時に書いた。

悪の透明化 : 18世紀ドイツ語圏人間学的言説における認識的障害と不幸の文芸 | CiNii Research

実はこのようなテーマで小説理論なり劇作なりを分析した研究はそれほど多くないように見受けられる。それがなぜなのかはわからない。しかし彼から、哲学も学んでいたかと聞かれ、もちろんと答えたが、実際哲学の何を学ぶかによってもかなり文学研究のテイストも変わってくるので、自然法などは当時の作家たちが多く学んでいた法学部で当然ならうテーマであるにもかかわらず、自然哲学に比べてあまり人気もなく(自然哲学を学ぶなら当然自然法も学んだほうがいいのだが)、現象学と比べれば…。

それはともかく、Fataは第二章で扱われる。りあえずここでわざわざ書いておいたほうがいいかもしれないのは、第一章と第三章についてだろう。少なくとも今回重要だと思っていたので電車の中で読み返して、とてもクリアに理解できたはずだ。以下はメモなのでご容赦。

第一章ではバロック小説、特にここではHeinrich Anselm von Ziegler und Kiphausen (1663-1697) の "Asiatische Banise" (1689) に焦点が当てられる。この劇は国家の衰亡が繰り広げ荒れる東洋が舞台となり、Zieglerは旅行記などの史的素材を用いてこのプロットのこった群像小説を仕立て上げていく。この小説は18世紀に入っても言及があることがあり、小説理論の発展を考察する上で見逃すことのできない同時代のお手本だった。

では何をしてこの小説が参照すべきものだったのか。ドラマツルギーだ。つまり史的な素材ではなく歴史哲学的要素が基本的この小説の筋書きを定めるのであり、それこそが参照すべきものでもあった。そしてこの小説が物語を形成していく仕組みは単なるhistoria literariaのような文献学的正確性に依拠した叙述、つまり史的事実ではないということをFrickは指摘する。

その上で、その歴史哲学的な枠組みはバロック劇において何かということが問われる。それが救済史であり、この小説の中の登場人物は、明示的な神の介入を目撃するわけではないが、運命や摂理のもとに歴史が展開されることを理解し、登場人物は神の印とともに生き、またそれを適切に読み解くか、また裏切ったりするかどうかで結果が変わっていくことを理解している。興味深い議論が丹念に展開されていて、引用も的確であり、お手本のようであったことは言うまでもない。

こうした救済史的な歴史哲学、あるいは弁神論は、LeibnizやVoltaireなど1700年前後にも様々に展開され、この時に自然権の問題は露出してくる。つまり普遍史の問題に直結するわけであり、世界の完成に向けて全てのものは何らかの役割を担うのであり、どのような権威であってもそれは神の摂理に定めら得ているという理解、つまりルター派Orthodoxie的なモナルヒーの思想が、歴史叙述にも小説にも表れていることがわかる。だがこの時モナルヒーも自らというものを持ってはいないのであって、ここが決定的な点である。だからその後も18世紀前半の貴族の悲劇が書かれるのであり、それに対する市民悲劇の動きも、この自らのなさが主題にはいってくる(この辺りはKarl Eiblも色々書いている)。

書誌情報:Karl Eibl (1995) Die Entstehung der Poesie. Insel. (今は完全に絶版)

実際18世紀の前半にスイスの批評家たち、つまりJohann Jakob Bodmer (1698-1783)とJohann Jakob Breitinger (1701-1776)の作劇論が、Johann Christoph Gottsched (1700-1766)の作劇論を批判し(思えば同世代であり、前者がいわゆるGessner現象を代表する新世代みたいな感じで語られる一方で、Gottschedはたいてい影が薄い。しかしGottschedは早熟の天才と認められLeipzigでKreisを形成していたわけで、ここにも典型的なNaturとGesellschaftの対立があり、これを調停する仕方はいくかパターンがあるとはいえ、あえてここで名前をあげておきたいのはSophie von La Rocheであり、彼女の作品については発表したきりでおいたままにしているので論文にしたい)、いくつかの主要な概念をめぐる論争をした。詳細は省く。いずれにせよ、この世はは上述のものも含め長引き、その後同じくらいの年代にJohann Georg Sulzer  (1720-1779)が自然らしさという点を巡って議論し、旧来の小説理論が終わりに向かっていくことになる。そのとき自然らしさとは何のことを言っているのか、つまり、端的に虚構と真実の境界線に関してどのような見解が繰り広げられていくか、この問題に第三章は焦点を当てる。その際に特に分析されるのは、その時代より少し遡って、いち早く同様の議論を展開していたチューリヒ神学者であり風刺作家であった Gotthard Heidegger (1666-1711)の"Mythoscopia romantica" (1698)が取り上げられる。この運びがとても興味深いわけで、やはりチューリヒの人物が取り上げられる。

こうした人物たちの直接的な関わりは特に多く論じられるわけでもないし、仄めかされるわけでもなかったと思うが、ここは調べがいがある。

また追加するべきことも多くあるが、一旦終わる。

記録:Theodore Sider (2003) What's So Bad About Overdetermination? - 多重決定 (2)-

前回の続き

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多重決定overdeterminationという概念は、例えば因果的多重決定という使い方がされ、分析形而上学の議論やそれを用いた心の哲学などの議論では定番テーマの一つだ。少なくとも半世紀ほど絶えず議論されてきているし、メタ形而上学の著作 "Writing the Book of the World" が楽しいTheordore Siderの2003年に書かれたレビュー論文なんかはものすごい引用数だ。件の論文 "What's So Bad About Overdetermination?" で彼はTrenton Merricksの議論を引いて、さらに心の哲学の問題に踏み込んでいく。Merricksは "Objects and Persons" でメレオロジカルな議論で非生命的な事象や個体の概念を掘り崩した。Siderは、Merricksがoverdeterminationを鍵に全体と部分という観点から物理的事象が存在しているという見解を掘り崩す点にMerricksの議論の独自性を認めている。つまりマクロにそないしている非生命的な存在は、全てミクロな次元解体していけば多重決定を防ぐことができ、多重決定のない理解は健全であるというわけだ。

ここでMerricksの議論に従ってSiderが引き合いに出すのが、causal exclusion argumentである。いわゆる非還元主義的物理主義といった区分に投げ込むことのできる議論に対し展開されたKimがぶつけた当該のargumentでもやはりoverdeterminationが問題となる。

古典的かつ伝統的な要素を含む議論であるとはいえ今でも議論され続けている非還元主義的物理主義は、Hilary Putnamなどによって主張されてきた。要するにタイプ同一性理論と言われる彼らの議論において、Instansとして異なる物理的因果と心的因果はTypeとして同じであ離、ある行為はこの同一のタイプである二つの過程によって決定されるということが、そこでは主張される。

(この種の議論は、タイプとは本質ではないにしても、そのような概念が存在しているかどうかを人は通り過ぎてしまうことに注意がいる。つまりタイプとして同じということがインスタンスとして同じという理解に転じることはありふれたことだ。このことは以下の記事も参考。構成概念でしかない認知概念を追求することで、それを本質と錯覚する認知バイアスに陥り実験の再現性が脅かされる。ただしタイプ同一性理論は行為の決定の過程をめぐる議論である以上、概念が健全であれば認知バイアスを招くものではなく、物理的過程における顕著な差異はタイプの差異を示唆する以上、心に属す独自の概念についてはその分析に意味がないと言っているだろう)。

www.note.kanekoshobo.co.jp

タイプ同一性理論では、インスタンスとしての物理的過程と心的過程が区別される。つまり非還元主義的物理主義の理論的な柱はただ一つこの区別にあるということになる。そしてこの柱は多重決定を基礎としている。Putnamは多重決定についてはさまざまな仕方で議論してきた。

ここで肝心なのは主観的かつ現象的な要素だ。例えば幻肢の主観的運動は、確かに脳に運動機能が存在しているとはいえ、幻肢の主観的運動は現象的には行為であり、その行為はある部分までは確かに物理的過程に還元できるが、そうではない部分に至るとタイプ的な同一性は認められるが単に心的過程しかないように見える。もちろん運動の経験自体、つまり経験的意識を物理的過程として実現している部分のみ求めることもできる。所詮どんな経験的意識も構成されていると考えることもできる。実際

exclusion argumentの議論の方が、Merricksより穏健とも言える。overdeterminationの中でも、いいものと悪いものがあり、物理的なobejctの間の多重決定を問題視することはない。単に心的因果と物理的因果の多重決定はあり得ないということがここで言われている。

以下を参照のこと。

iep.utm.edu

Merricksはこの区分し、Siderはその反論に同意している。この区分が説得力を欠き、むしろ全ての複合的といえる事物に当てはまるのならば、この世界に本当に存在しているといえるのは単純実体だけだ。そうなった時、多重決定はいかなる意味でも存在しないということになる。

だが果たしてそうだろうか。なぜ単純実体しかなかった時、ある事象は単純実体が一対一で作用し合うことを仮定できるのだろうか。この仮定は過度に対称性を重視している。実際は対称性が崩れたところにしか、連続的かつとめどなく生じる事象は現れないだろう。つまり彼らはむしろ、多重決定とそうではない決定を事前に峻別することで、多重決定を複合体の要素とみなしていることになる。だが、そうであるならば、いかなる構造も性質を持たないためにその構成要素の性質すら消し去っていると理解すべきであるということになる。そもそもKimが創発主義について議論するとき、このようなナンセンスを回避しようとしているように思われる(下記書誌情報参照:この論文は昔読んだが、また別記事でまとめる)。加えて、構造には単なるパスウェイも含まれる。そうであるから、多重決定とそうではない決定の弁別はますますとリヴィアルなものになるだろう。つまり、Merricksの議論にもそれに同意するSiderにもここでは同意できない。メレオロジーとメカニズムは別の話だとここでは考えている。またこの点についてはCowlingの以下の文献も参照。

Kim, Jaegwon. “Making Sense of Emergence.” Philosophical Studies: An International Journal for Philosophy in the Analytic Tradition 95, no. 1/2 (1999): 3–36. https://www.jstor.org/stable/4320946
Cowling, Sam. "No simples, no gunk, no nothing." Pacific Philosophical Quarterly 95, no. 2 (2014): 246-260. https://doi.org/10.1111/papq.12027

だがなぜoverdeterminationがあってはならないのか、というのがSiderの議論である。Siderはoverdeterminationを拒絶する議論のパターンをいくつか示している。

Metaphysical objection:overdeterminationが形而上学的に見て一貫性がない。

(ここで形而上学とSiderが読んでいるものは、基本的に自然な事物の分節を可能にするような存在論のことで、何から事物が成り立ちどのような作用がありえるのかなどを、理論的に整合性のある世界を構築できる固定化されたフレームの要素として組み上げる議論のことだ)。Siderはexcluison argumentの背後に、多重決定を言う非還元主義だけでなく、随伴説(epiphenomnalism)への懸念もあるが、その際にはそもそも随伴現象(例えば心的事象)と因果的事象(例えば物理的事象)の区別を行っていた随伴説の議論を、心的事象が因果性を持つかどうかの議論へ変化させられてしまっていると指摘する。だからexclution argumentがepiphenomenalismに反論するとしても、そこではすれ違が生じるのだが、そもそもmental causationを排しない限りepiphenomanalimの主張は多重決定と区別されず、正当化されることもない。

そもそも因果推論の上でどのようなノードが形成されるか、つまりある事象に関わるそれぞれの要素の因果関係をいかに定めるかは、事前に自明な個体を想定する必要はない。例えば、

1) ある二人の人物AとBが理想コインを理想機械にかけ、表が出たらがAが古くなったケーキを食べ、裏が出たらBが新しいケーキを食べるとする。そして結果Aが新しいケーキを食べ、Bが古いケーキを食べてBは腹を下したとする。この時Bが腹を下した至近の原因は古いケーキを食べたことにある。だがBはコインが裏を出したことを恨めしく思うかもしれない。そもそもこのルールを提案した自分を責めるかもしれない。あるいはケーキを冷蔵庫の奥にしまったままにしたAの責任を追究したくなるかもしれない。いずれにせよこうしたものは遠かろうとBの食中毒の原因をなしているはずだ。このような原因論的(etiologocial)説明は、少なくとも、コインの裏表を結果に至る過程に加えることはできるが、しかし必然性を要求されるならば、コイントスに関するルールとその結果は二人に等しく可能性を与えているので、ある種の形而上学者にとっては無視可能だろう。そのような人からすれば、Bは単に古いケーキを食べたこと、いや、そこに繁殖していた菌の出した毒素などによって食中毒になったということになる(しかしそれとてBの体調も考慮すべきで、より詳細な化学的分析を要求するということになるのだろう。だが食中毒の発生をキックオフした後、実際に症状として全身にさまざまな影響が生じてくる過程はそこに含まれないのだろうか。いや、食中毒というもの自体を消去すればそれで済むのだろう)。

2)コイントスをじゃんけんに置き換える。こうすると話はまたややこしいだろう。ここでは割愛する。

Coincidence objection:系統的多重決定は偶然(a coincidence)である。

これについてはすぐ上で議論したことに似ているので割愛。

Epistemic objection:多重決定する存在があると信じることになんら理(reason)がない。

いわゆるオッカムの剃刀みたいなものだが、これについてはSiderがここで展開する以上の議論があるので、ここでは省略し、別の記事にする。ただここにメモしておくべきことは、Merrickがこの論証を展開して多重決定に対する反論の一つの武器にしており、それについてSiderは形而上学的反論や偶然論的反論よりも理があると述べていると言うことだろう。というのもSiderは、この反論は単に、多重決定する存在者を是認する人物へ反論すればいいだけで、存在論的な議論を回避できるから。

ところでこのような回避が歴史的に見て何度も繰り返されてきたことを私たちは知っているし、この回避は確かに哲学の議論がより良いものになっていくために必要であっただろうと私は思っている。

いずれにせよMerricksはなぜ消去主義を取るのかという目的意識も確かに考慮に入れるべきだろう。それでもSiderは非生命的なマクロ存在者があるという主張を次のように擁護できると考えている(つまり彼は認識的反論への再反論をここで提示している)。三つあるうち二つここに掲載する。一つ目はこう。

i) The necessary principles governing when composition occurs cannot rule out all possible composites since "atomless gunk" is possible (Sider 1993). They cannot be vague; otherwise it could be vague how many things exist. They cannot be non-vague and restrictive while remaining plausible. So tyehy must be non-vague and unrestricitive. So they imply composition in all cases. So non-living macro-entities exist. (イタリック原文)

三つ目はこうだ。

iii) Given the possibility of atomless gunk, non-living macroscopic entities are possible. While not supplying an arguments agains them, namly, arguments based on non-contingent premises.

Siderは正当にも多重決定については認識的反論に限って理があると述べる。それに対する彼の再反論が成功しているかは、彼の議論から結局は多くの問題が取り残されていることだけが明らかにされてしまったと思える以上、判断は一旦保留する。