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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

日記:久々の対面授業

今日は久々の対面授業だった。期待していたようにとてもやりやすく、楽しく授業ができた(学生にとってどれが快適かはわからない。でもオンラインの快適さが、教授それ自体にとって有益かどうかは別でもある)。

対面授業では身体がそこにあって、自由に動けるということが、授業のしやすさに繋がったと感じた。

私はとにかく歩き回りながら授業をするのが癖になっていて、それが話すことを考えたり、板書すべき事柄をスムーズに想起させたりするのにとても役立っている。これはディスプレイの前に体を固定させ、また表情もカメラに撮られている中で話すのとは全く別だ。

もちろんオンラン授業の時はきっちり資料を作っていくから余計に固定された感覚に陥りやすいのだが、それでも体が自由であるというのは気持ちや考えの自由さにつながる。

そしてまた、授業に導入しやすい、少なくとも自分の話を始めやすいというのもある。例えばそれは私が教室に足を踏み入れることによって、また教壇に立っていることによって、制度上そうなっているのであり、空気が変わる。オンライン授業では資料を共有したりカメラオンにしたり、瞬間的な画面の変化で文脈を断ち切るのだが、その後に作り上げるべき文脈への共有された導入が存在しない。画面しか共有していないというのもあるだろう。私が教室に入れば、それは授業が始まるという合図であり、私が意図して授業が始まるということを告げたり、文脈を一から作る必要はなく、ただ自分をそこに提示するということで、文脈を作るための素地が出来上がっているわけだ。

学生の表情も見えるし、声も聞こえる。一緒に授業をしているという感覚になる。

もちろん学生がどの程度コミットしてくれているかを正確に知ることはできない。むしろ思いっきり誤解している可能性もある。しかし顔も声もない画面に向かって話し続けることと比べればはるかに理解できているはずだし、その期待を持てる時点で授業のしやすさは変わる。

これは教育上のメリットデメリットの問題ではなく、授業のしやすさという教員側の事情にすぎないかもしれない。だが、多分ペース配分とか、いろんな点で学生にも還元されるところがあるだろうとは思う。

いずれにしても対面授業が後期は続くだろう。ひとまずそれを楽しみたいと思う。