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Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

日記

 誰に相談できることでもないのでここに書くことを思いついた。私が今何に苦しみ、何故苦しんでいるのかを冷静に少し振り返りたい。

 まず、私が置かれている苦境というのは、博士論文を書き進めることができていないという状況である。それが第一の根本原因ではないにしても、直接的な原因であることに違いはない。次にこの状況に関して相談する人が誰もいないということが副次的な原因でもある。もちろん指導教員はいるのだが、私自身にとって指導教員との話し合いが博士論文執筆に際しての心理的障害を緩和したり、何か突破するための助言を与えてくれたことはないし、それが期待できないという信頼のなさがある(これは指導教員自身の名誉のためにいえば、あくまで彼に内在的な原因があるわけではない。おそらく私自身が抑うつ状態にあるために、その言葉に適切に耳を傾けることができないからである。それはわかっているが、これを改善することは直ちに自力で抑うつ状態を改善せよということになり、到底不可能だが、とはいえそれを不可能だと言っているような時間的余裕もない)。この括弧書きにもあるように、続いて直接的な原因として時間的な余裕のなさがあげられる。なぜそれほど焦って書かなければならないのかといえば、ただただそれは経済的な理由であって、これが根本原因ではないかと思える。金さえあればゆったり書けばいい、精神的な問題も癒えるまで待って、もっと丁寧に、納得のいく方法で、テーマと文体で書いて仕舞えばいいのだ。

 だがそのような理想は全て裏切られている。私にとってそのような状況が苦痛でしかないのは、時間、金、精神的問題、これらが全て足枷になっている中で、一歩進むたびに喘いでしまうのにフルマラソンを完走しなければ未来が決してないように思えるからであり、一言でいえば絶望しているのである。

 あれかこれかではなく、あれしかないとわかっているのに、これしか選べない。生きた心地もしない。味気ない。全てにうんざりする。博士論文なんて書く必要がないとなれば、このような苦痛も感じなくていいのだが、それを取り除くこと以上に取り除くべきものは多いだろうと思う。漫然とでも生きていればそれで過ぎていく、その中で癒えていけばそこから再起できる、それはそうかもしれない。そして本当はその道だってありうると気づいているのに、どちらにしてもその道を取ることができそうにない(できないと少なくとも思い込んでいる。

 息ができない。胃が気持ち悪い。

 研究を進めたい。研究に没頭できるならしたい。悲しい。

 それ以外の人生を本当は望んでいないのかもしれない。

 しかしそれ以外の人生も決して消去していない可能性として存在している。

 だからと言って、自分が目の前で魅力を感じているものに集中できない。

 この時間は全て無駄。生きていることも無駄に感じられる。

 本当は誰かに助けて欲しいのだが、誰が助けてくれるだろうかと思う。そしてその助けが本当に助けになるのかもわからない。受け取ることができるかどうかも、受け取ることが正解なのかも。私は本当は自分でもう立てるのに、立つことができないで松葉杖を探しているだけなのかもしれない。だが、この道を進むために足を踏ん張らせることができないのかもしれない。何一つ納得がいっていないのかもしれない。

 誰も助けない。約束なんてない。この世界でないどこかへ。