anti_optimized haunted processor

Germanistik, Philosophie(Aufklärung, Phänomenologie, Logik), Biologie, Musik und Kunst

Johannes Müller、Hermann Helmholtz、Emil du Bois-Reymondに関して覚書 (1)

 存在論的な「消去」と認識論的にプラグマティックな態度を取るために「省略」することの間には全く埋め難い亀裂がある。一般的に還元主義といわれる哲学的立場は原因論的な分析に基づき存在論的な消去を遂行していく。しかし19世紀末の世紀転換期に起こった科学哲学的な論争は基本的に形式主義的な科学観に則った認識論的省略に取り組んでいたのであり、それ以前の唯物論のような存在論的消去、あるいは存在論的統一を試みる立場とは決定的に相違していた。これらの立場をまぜこぜにしてしまうと歴史記述はおろか哲学論争においても多大な障害をもたらすに違いない。

 ここで覚書を残しておきたいのはこうした議論の背景にある数多くの登場人物のうち、Johannes Müller(1801-1858)、Hermann Helmholtz(1821-1894)、Emil du Bois-Reymond(1818-1896)に関してである。彼らは師弟関係にある自然科学者であり、神経科学や生理学、物理学に関して多大な功績を残した。それと同時に哲学や学問論のエッセイや講演原稿を残しており、新たな学問分野が確立されるにあたって、いかに方法論的な反省を徹底して模索していく必要があったかを窺い知ることができる。その苦闘は至極感動的であるのだが、それはともかく、苦闘であるが故にジグザグに進行する議論の筋道というのもあるだろうから、当然それぞれの立場は微妙に異なっており、この点についてなかなか整理し始めると大変なので、少しここにメモをとっておくことにした。手元のノートに残してもいいのだが、誰かと共有することで今は多少はモチベーションを保つことができるように思う。

 まずJohannes Müllerに関して。ここで取り上げるのは差し当たって『人間と動物の視覚器官の比較生理学に向けて』Zur vergleichenden Physiologie des Gesichtssinnes des Menschen und Thiere (Leipzig 1826)。

www.google.co.jp

 この本の長い前言(Vorwort)でMüllerは視覚器官に関する研究の歴史を古代ギリシャの哲学に至るまで振り返る。彼以前に視覚器官に特化した生理学的研究はわずかにしかないため、ひとまず分析の端緒として哲学を頼りにしたというわけである。

 

 ところでここにすでに、自然哲学と自然科学の境界の曖昧さを見て取ることは確かに可能なのだが、そのような曖昧さもまた、ともすれば歴史を振り返る態度として必ずしも適切でないかもしれないのだから注意が必要だろう。というのも、私たちは自然哲学と自然科学を明確に分裂させることができると(今の歴史観に則って)考えることができる。しかし本当に自然哲学のない自然科学が可能なのかも含め、そのような思考は(これから見るように)若干危険かもしれない。要は、自然科学とは概念的に整理され、認識論的的省略が推進された結果としての経験主義的な自然哲学の二つ名に過ぎないかもしれないのだから。

 少なくとも自然科学も自然哲学も、その理論や体系は歴史的な産物であり、その限りで歴史的存在として個別化する際にはカテゴリーや分類体系の問題が付き纏ってくる。結局のところ歴史的事象が連続的変化の過程に過ぎず、しかも出来事として存在論的に見て物体と異なるとするならば話はややこしい。とはいえそれは記憶の中に個別的なものが存在しないと言っているようなものでもある。歴史が過去への形而上学的なアクセスを許容するものではないことは明らかである。従ってそれは認知能力と資料的限界に依存した一種の虚構であることを否めないわけである。とはいえ単に言語的冒険さえ許される文芸と異なるのは、明らかに歴史が慣習に強く依拠した意味論の貯蔵庫であるという点である。その限りで歴史は辞書にも類似している。歴史は単なるナラティブではなく、言語や非言語を通じて継承されている過去への情動を含んだつながりを、つまり意味を現在に投げ込むことで、時間的に過ぎ去ってしまった個物の措定を遂行するものである。その限りで歴史が記念碑的なナラティブであることを逃れる術はない。それは事物のメタデータであると同時に、事物そのものとなる(ただし歴史的存在をセンスデータとか性質の束に還元するものでは決してない。むしろ現象学的総合が前提とされている)。従って、分類をここから考えると、自然哲学の子孫として自然科学を捉えるのか、自然哲学の「出世魚」として自然科学を考えるのか、自然哲学の提示した幾らかの方法論だけを継承した別種の知識体系として自然科学を捉えるのか、あるいは自然哲学と方法論を全く異にしながら、目的や機能において類似性が認められだけの知識体系として自然科学を捉えるのか、と言った問題がひとしきり出てくるだろうし、この問題は意外なほどに混雑しているのではないかと思える。

 ここら辺の話に関して差し当たって、Helmholtz達について話をする上でも、Hans-Jörg Rheinberger: Historische Epistemologie. Junius Verlag 2007. を参照しているのは確かだが、他にも念頭に置いているのは言語論的転回以後のさまざまな議論をこれまで読んできてずっと考え続けてきたことでもあり、またまとめて文献を提示しながら説明できたらいい。

 話がすっかり脱線したが、彼らに関して実際にメモを取るのは次にすることにする。